菅江真澄と旅する

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真澄は、文化3年(1806)2月能代を出立し白神が岳を望む高い丘に登る

菅江真澄の足跡を訪ねる|白神山地と蝦夷の接点 菅江真澄は文化三年(1806年)2月能代(秋田県能代市)を出立して、高い丘に登ると、海原がうらうらと望まれて、たちわたる霞のなかに雪深い陸奥との国境が見渡せた。 津軽の白神が […]

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菅江真澄は文化4年(1807)八峰町の大久保岱集落を通り手這坂を訪れています

菅江真澄も訪れた 八峰町手這坂 江戸時代の紀行家・菅江真澄が、文化4年(1807年)、54歳の頃に八峰町の大久保岱集落を通って手這坂へ訪れたと、真澄遊覧記の『雄賀良能多奇(おがらのたき)』に記されています。   […]

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菅江真澄は「雪の道奥雪の出羽路」で八森の尼子岩について詳しく記述しています

菅江真澄の足跡を訪ねる|八森の岩屋不動尊(岩子岩) 菅江真澄は、享和元年(1801年)の旅で尼子岩について次のように記述しています。「泊川をさかのぼると、岩屋の不動尊といって円仁(慈覚)大師が大杉をもって作られた仏がある […]

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菅江真澄は2度目に八峰町を訪れた時瀑布山天滝寺(白瀑神社)を訪問

菅江真澄の足跡を訪ねる|瀑布山天滝寺(白瀑神社) 江戸時代の紀行家・菅江真澄は、文化4年(1807年)白瀑神社を訪れている。菅江真澄遊覧記の「雪の道奥・雪の出羽路」に下記のように記述している。 「冬枯れのなかに松杉が茂っ […]

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菅江真澄は鹿の浦を下り泊川の橋の袂でひきがえるの形をした蛙岩に参拝

菅江真澄の足跡を訪ねる|蛙岩に参拝 菅江真澄は享和元年(1801年)11月深浦を出発して岩舘の浦、椿が浦を通り八森に入っている。深浦から八森までは車で移動すると1日で真澄の足跡を訪ねることができます。真澄は11月3日に深 […]

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菅江真澄は文化3年八森に再訪。八森では元館(本館)を訪れ花見をしました

菅江真澄の足跡を訪ねる|元館と武田重右衛門(武田重左衛門) 文化3年(1806)にも八森に再訪した真澄は、さらにその翌年、八森への3度目となる旅で、元館(本館)に向かいました。 地名の“いわれ”だという、大母爺杜・小母爺 […]

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菅江真澄は岩舘の浦から滝ノ間、横間、茂浦を通り椿の浦で雄島を眺める

享和元年(1801年)11月 真澄は岩舘の浦で鰰の漁を見学してから浦伝いに進み小入川の部落に入った。 部落の人がこの山陰に銀山があったなどと話している。これからたどる歩坂(かちざか)といいうところは凍っていて人も馬も、越 […]

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菅江真澄は岩舘の浦を出発。ませうち川を渡り椿の浦を通り湯沢に滞在しました

菅江真澄の足跡を訪ねる|岩館を出発しませうち川(真瀬川)の高い橋を渡る 文化4年(1807)年3月の初め、菅江真澄は岩館(八森町)で船にのり、笛滝や立岩、滝の間、横間などを訪れている。「浦の笛滝」の旅が7月10日岩館の笛 […]

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八峰町の観光スポット
真澄は大間越街道で津軽の殿様が参勤交代で休憩し湧水を飲んだ場所で休憩

菅江真澄の足跡を訪ねる|お殿様も飲んだ湧水「お殿水」 菅江真澄も通った大間越街道は、津軽藩主の江戸参勤交代の道であった。そもそも津軽藩時代の当初は、この大間越口が藩主の江戸往来の参勤道であったようだ。しかし南部藩との確執 […]

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菅江真澄は享和元年11月6日岩舘の浦(現八峰町)でハタハタ漁を見学しています

菅江真澄の足跡を訪ねる|岩舘の浦ではたはた漁見学 享和元(1801)年11月4日、菅江真澄は回船問屋竹越貞易にともなわれて、津軽領深浦(青森県西津軽郡)を出発し日本海沿いに藩境を越え、岩舘(八峰町)に入っています。真澄は […]

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