菅江真澄は文化3年八森に再訪。八森では元館(本館)を訪れ花見をしました

菅江真澄の足跡を訪ねる|元館と武田重右衛門(武田重左衛門)

文化3年(1806)にも八森に再訪した真澄は、さらにその翌年、八森への3度目となる旅で、元館(本館)に向かいました。 地名の“いわれ”だという、大母爺杜・小母爺杜・狐杜・小糠杜・大糠杜・祖神杜・佐々杜・種津杜の8つの杜(もり)を挙げ、白瀑の前では、松源院白瀑神社の由来を述べています。
真澄はこの時、滝の上の薬師山に登り、サクラスミレを見つけて写し取りました(『無題雑葉集』)。

本館城址の由来

2日後、桜が咲き始めた元館に、今度は大人数で花見に出かけています。この地で滅びた武田重右衛門(武田重左衛門)を偲び、その帰りには、菩提寺である松源院に立ち寄りました。
重右衛門の位牌を眺め、涙を流しています。春めいた城跡から間もなく、実感した城主の悲劇に胸がつまったものかもしれません。

本館城址と武田重左エ門のお墓
本館地区を練り歩く御神輿
この記事をSNSでシェアー!