菅江真澄と旅する

菅江真澄と旅する
菅江真澄が愛した深浦町は約1300年前の「日本書記」にも書かれている古い港町

雪の道奥雪の出羽路 菅江真澄が愛した深浦 「菅江真澄遊覧記3 内田武編訳」は雪の道奥雪の出羽路で始まっています。 菅江真澄は、享和元年(1801)年過ぎ去った秋の頃から深浦を出発しようと、しきりに思っていたが、紅葉やを月 […]

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菅江真澄が鹿の浦の坂、泊川の坂から眺めた海の眺望、日本海の夕陽は素晴らしい

菅江真澄の足跡を訪ねる|菅江真澄が眺めた鹿野浦からの眺望 菅江真澄は享和元年(1801)11月青森県の深浦から旅立った。11月6日岩舘の浦(現八峰町)では、ハタハタ漁を見学した。その後、真澄は雪がこぼれるようにさかんに降 […]

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菅江真澄は享和元年11月津軽藩の深浦から日本海沿いに岩舘の浦(岩館)に到着。

菅江真澄のを訪ねる|岩舘の浦で鰰(ハタハタ)漁 を見学 享和元年(1801年)菅江真澄は、津軽藩から日本海沿いに藩境を越え岩舘の浦に到着しています。岩舘の浦は 現在の八峰町です。真澄は岩舘の浦の菊地小三郎家に泊まり11月 […]

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菅江真澄は宝暦4年三河国に生まれる 江戸中期から後期にかけての執筆家です

菅江真澄 プロフィール 「宝暦4年(1754年)菅江真澄は、三河国(愛知県)に生まれました。江戸中期から後期にかけての執筆家。生年には宝暦3年説もありあます。姓は白井、本名英二。文化の半ばから「菅井真澄」の姓名をつかう。 […]

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真澄は享和元年11月5日岩館の浦に到着。岩館の浦でハタハタの網曳を見学している

菅江真澄の足跡を訪ねる|岩舘の浦で鰰の網曳を見学 「享和元年(1801年)11月5日深浦で沢山の友だちに別れを野げ岩舘の浦を目指した。大間越の部落で菊池某のもとで休憩し深浦から乗ってきた馬を返した。大間越の部落を過ぎ出羽 […]

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真澄は岩舘の浦から能代に向かう途中椿の群落している椿の浦を通っています

菅江真澄の足跡を訪ねる|椿と八百丘尼伝承 菅江真澄が岩舘から能代に向かう途中椿の群落している椿の浦を通っています。椿の浦には異国船が近づくのを警備する監視所が高い丘につくられていた。真澄は椿の浦はささやかな住まいまで家の […]

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市野村(琴丘町)観音菩薩堂と岩館管生の岬(八峰町)の笛滝に伝わる恋物語

菅江真澄の足跡を訪ねる|秋田県琴丘町の観音菩薩堂と笛滝 菅江真澄は、文化3年(1806年)2月21日能代を出発し3月12日志野村(琴丘町)に到着。斎藤清三郎という人の家にしばらく休み、観世音菩薩の堂に詣でた。このお堂には […]

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菅江真澄が眠る秋田市寺内の墓地に参拝。墓碑に万葉風長歌が刻まれています。

菅江真澄の足跡を訪ねる|菅江真澄の墓地に参拝 菅江真澄は文政12年(1829)6月19日病に倒れ没しましたが生まれた年が正確に分かっていないので、定説によると数えの76歳頃と言われています。 真澄は仙北郡神代村(現田沢湖 […]

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秋田県立博物館内特別展示室にある菅江真澄資料| 真澄が残した数々の書物等を展示

菅江真澄の足跡を訪ねる|菅江真澄資料センター訪問 コロナ禍で移動が制限されている中7月16日から22日まで私のふるさと秋田県八森(現八峰町)を旅してきました。旅の目的は、今から200年前菅江真澄が故郷八森(八峰町)に残し […]

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秋田県立博物館から徒歩20分 秋田県立博物館重要文化財の旧奈良家住宅を見学

菅江真澄の足跡を訪ねる|旧奈良家住宅を見学 秋田県立博物館を訪ねた後分館の旧奈良家住宅を訪ねました。旧奈良家住宅は、博物館から800m(徒歩15分)です。この日は気温が高く分館に徒歩で行くのを止め博物館の受付でタクシーを […]

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