菅江真澄は鹿の浦を下り泊川の橋の袂でひきがえるの形をした蛙岩に参拝

菅江真澄の足跡を訪ねる|蛙岩に参拝

真澄がスケッチした蛙岩と泊川の坂

菅江真澄は享和元年(1801年)11月深浦を出発して岩舘の浦、椿が浦を通り八森に入っている。
深浦から八森までは車で移動すると1日で真澄の足跡を訪ねることができます。
真澄は11月3日に深浦を出発して泊川には11月7日に到着している。4日間の行程でした。
椿が浦から鹿の浦に到着して次のように記述している。
「鹿の浦の坂、泊川の坂など、ニ、三の坂を越えるところから見る海の眺望は、すばらしい。泊川を下っていくと道の傍に、ひきがえるの形ををした五尺(1メートル半)ばかりの岩がさし出て、覆いかぶさっていた。その下方に小さな祠がある。何かと尋ねると畔神(あぜ)とか、黒尊仏というが、また馬の神だとも答えた。」
※菅江真澄遊覧記3内田武編訳から引用しました。
菅江真澄がスケッチした蛙岩の図絵は岩崎美術社民俗図絵中巻より引用しました

鹿の浦から坂道を下ると泊川の右手に蛙岩があります。現在も真澄が通った時と同じ面影があります。しかし鳥居や洞は朽ち果てている。昔は馬の道祖神が浮き彫りでありましたが今は殆ど原型をとどめていない。

鹿の浦からの夕陽は息を吞む美しくはるか遠くに男鹿の寒風山、雄島などが遠望できる。


菅江真澄は、蛙岩を右手に見ながらと泊川を渡り八森に向かいました。真澄は泊川をさかのぼると、岩屋の不動尊(尼子岩)があると聞いていますが先を急ぐので尼子岩には行くことが出来なかったようです。

この記事をSNSでシェアー!