菅江真澄は「雪の道奥雪の出羽路」で八森の尼子岩について詳しく記述しています

菅江真澄の足跡を訪ねる|八森の岩屋不動尊(岩子岩)

菅江真澄は、享和元年(1801年)の旅で尼子岩について次のように記述しています。
泊川をさかのぼると、岩屋の不動尊といって円仁(慈覚)大師が大杉をもって作られた仏がある。八森山の滝の不動尊も同じ木で、同じく円仁(慈覚大師)つくられたという。この岩屋に行くには道も遠いし、つれだつ人も心せわしかったので行くことが出来なかった。」菅江真澄遊覧記3 内田武編訳から引用しました。

岩屋不動尊は、尼子岩のことで円仁(慈覚)大師が大杉で作った仏が祀られていた。また白滝神社の滝に岩屋不動尊があり中に円仁(慈覚)大師が彫った仏像が収められている。浜田の岩屋に祀られた不動尊は、雪の深いころ鹿が群がって来て、エサが乏しかったので不動尊の御頭をはじめ、まわりをかじって、その形を見えないようにしてしまったと「菅原真澄みちのく漂流(簾内敬司著)」で記述しています。
現在は青銅の不動尊が祀られている。

尼子岩の案内図
崩楽前の尼子岩

菅江真澄の伝え聞いた岩屋は尼子岩のことだと思います。
この祠には一人の尼さんが暮らして人々の悩み相談や祈祷をおこなっていたと伝え聞いています。
なぜ400年前に尼さんがこの地に流れ着き尼子岩に住み着いたかは詳しい文献はなさそうです。
尼さんと言えば八百丘尼伝承が思い出されます。椿の浦椿台には椿の群落があったと菅江真澄は記述しています。椿の北上は若狭から始まっているので不老不死信仰「八百丘尼伝承」を伝えたイタコが各地に椿を植樹したのではないか。柳田国男は椿の運搬車は婦人であると想像しているが、死者の霊を口寄せするイタコや遊女の女たちのことが柳田国男の脳裏にはあったようです。八百丘尼を祭ったお堂にある椿を持った八百丘尼像があると書かれている。もしかしたら北を目指してた尼が椿をもって尼子岩に住み着いとしても不思議ではない。

尼子岩については昭和48年7月発行の「あきた」に詳しく載っているので紹介します。
「秋田県山本郡八森で宗教的色彩を強く感じさせるものがいくつかあるがその一つの場所は尼子岩である。尼子岩は、東八森と八森のほぼ中間、本館城跡の近くにあって、病気を治す神様として大切に祭られている。 「秘宝の谷」と書かれた案内板を見ながら下って行くと、州の両側に大小のほこらが見えてくる。川にかけられた橋を渡って行くと、薄暗く巨大な洞窟が見えてくる。その岩はだには、貝の化石も見られ、その昔海底であったことを示している。」

尼子岩

 この尼子岩を守っていたのは吉田与之助さんという人で、吉田さん自身もこの祠で祈りを続けた結果半年ほどで目の病が治ったという。それまではぽんやりと白黒の判別がつく程度だったという。それ以来五年間、自らも祈とう師として、祈りに訪れる人のために祈とうし、ひたすら尼子岩を守り続けたそうです。
尼さんが亡くなった後誰もこの不動尊を守る人がいなかったので吉田与之助夫婦が住み不動尊を守っていたのではないかと推測できます。吉田与之助ご夫妻が亡くなってからは訪れる人も少なく荒れ果てていると地元の人から聞いています。

現在の尼子岩

吉田与之助夫妻が住んでいた場所でこの下に尼子岩があります。
尼子岩に下りる道は現在はけものみち。熊も出没するようで大変危険です。
現在の尼子岩で崖が崩れ落ち昔の面影はない。
現在の尼子岩

尼子岩に行く道はけもの道となっています。又熊が出没するので大変危険と聞いていますので注意が必要です。

尼子岩について詳しくはこちらのページをご覧ください。
http://mitinoku.biz/hist_walk/hist_akita/?p=567

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