享和元年(1801年)菅江真澄は沢山の人に見送られ深浦から岩舘の浦に旅立つ

菅江真澄の足跡を訪ねる|岩館の浦で笛滝と立岩を見る

菅江真澄の絵図 鍵懸(かぎかけ)と笛滝

菅江真澄は、享和元年(1801年)11月5日深浦から沢山の人に見送られ岩館に旅立ちました。途中つたの沢でもぎ木の枝をびっしり打ちかけた大木を目にしています。この風習は、鍵懸(かぎかけ)という風習で恋い慕う人を思って道祖神に祈り鉤の形をした小枝を大木に投げかけて、その人と添えるよう占うものと言っています。
真澄が画いたスケッチの中央の木が蔦の沢の鍵懸(かぎかけ)で、地元では30数年前までこの風習が見られたということです。ただし、その目的は真澄の説と違って漁師達が豊漁を願って懸けたものであろうと言われています。
図絵下方には笛滝が見える。笛滝は、おとの水が蔦の沢に入り、崖を伝って日本海に流れ落ち笛滝となっている。
真澄はこの笛滝について次のように記している。
御滝といって、その滝のおちてくる磯部に行って、一晩中、寝ずに笛を吹いて滝の神に手向けると、かならず妙なる面白い曲が吹けて、その道の名人になると言われている。地元の人の話によれば岩館小学校の鼓笛隊の子供たちは、運動会が近くと、笛滝で笛の練習をしたそうです。現在は笛滝の水が枯れて笛滝の場所が分からなかった。

立 岩

菅江真澄の絵図 立岩

真澄は享和元年(1801年)11月6日岩舘の浦を後にして小入川の浦里に向かった。磯づたい歩いていくと、高く打ち上げる波で沓を濡らしてしまった。振り仰いでとても高くそびえ立つ立岩を見ている。

立岩には、蔦の沢の笛滝にちなむ悲恋伝説が伝えられています。
「笛滝に向かって毎日ひたむきに笛を吹く若者がいました。若者に恋した滝の女神が”天の秘曲”を授けていたのでした。その美しい旋律に魅せられた若者の魂は、幻の音に惑わされ、恋人のことを見向きもしなくなりました。恋人は若者の心変わりを嘆いて海に身をなげてしまいます。それを知った若者は磯部に立ち、ざんげの笛を何時までも吹き続けました。くる日も来る日も立ちつくした若者は、とうとう磯部にそびえる岩になり、人々はいつしかこの岩を立岩と呼ぶようになったといいます」
(八峰町誌より)

現在の立岩

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