菅江真澄が岩舘の浦に滞在中度々訪れた つたの沢の笛滝。今は水が枯れています

菅江真澄の足跡を訪ねる|地元の人が笛滝と呼ぶ御滝

享和元年(1801年)11月深浦か岩舘に向かう途中つたの沢で神のおわしますところの御滝あると記述しています。

この滝が地元の人から笛滝と呼ばれていたようです。この度の「菅江真澄の足跡を訪ねる旅」では笛滝を見ることが出来ませんでした。すでに水が枯れて滝に降りる道もけもの道となっておりとても危険だと地元の人に言われたので断念しました。

今は水も枯れて往時の面影もなく人々から忘れ去られています。水が枯れたのは白神山地から流れ出る水脈が変わったのだろうか。

いつ頃の笛滝の写真でしょうか。今は水も枯れて往時の面影がなさそうです。

真澄は笛滝のついて「菅江真澄遊覧記 雪の道奥雪の出羽路」で次のように記述している。
御滝といって、神のおわしますところがある。その滝の磯辺にいって、一晩じゅう、寝ずに笛を吹いて滝の神に手向けると、必ず妙なるおもしろい曲が吹けて、その道の名人なると言われている。
笛を吹こうとするひとたちは、猿楽の笛神主の神楽笛童の草刈笛でも、みなここにきて手向けるというので、この磯辺の滝を笛滝とよんでいる。 (雪の道奥雪の出羽路より)

菅江真澄がスケッチした笛滝。小舟に乗って訪れたのでしょうか。笛滝の上を人が歩いています。現在のお殿水あたりでしょうか。

30年前までは岩舘の小学校の生徒たちが運動会が近づくと滝のほとりで鼓笛を練習していたと地元の人は言っていました。またこの笛滝と小入川のた立岩に関する悲恋の物語も大変興味深い。笛滝と小入川にある立岩の悲恋物語はこちらをご覧ください。

村おこしで立岩の麓でフルートやたて笛などのコンサートをしたら面白いと思った。

立岩を見学して小入川に入り銀山の跡地を訪ねた。菅井真澄は銀山の事は小入川に銀山があるとだけ記述している。小入川の銀山には当時3000人が住みお寺や遊郭まであったようです。真澄が当時の賑わいを書いていないのは不思議です。銀山につては触れてはいけない何かが隠されているのでないかと思った。

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