菅江真澄は享和元年11月4日西津軽郡深浦を出発し岩舘の浦(岩舘)に入った

菅江真澄の足跡を訪ねる|深浦から岩舘の浦へ向かう

真澄がスケッチした風景は岩舘の浦である

享和元年(1801年)11月4日真澄は西津軽郡深浦を出発し秋田に向かい翌5日には本蓮寺坂から岩舘の浦(八峰町)に入った。岩舘の浦(八峰町)の菊地小三郎の家で一泊している。真澄はこの浦の須藤有衛門について次のように記述している。
先祖の須藤刑部左衛門は、その子須藤兵部とともに陸奥の武士であったが、南部の乱を避けて、津軽の猿賀村(南津軽郡尾上町)に逃れ、それからこの出羽まで来て、このような磯山のかげに田畑を開墾して住んだ。そこを子孫の有衛門にちなんで有衛門埼という。今も須藤の一族が岩舘に来て住んでいるということです。

岩館の浦を旅立つ時寺の沢から岩舘の浦を眺め岩舘の人々の温かいもてなしに別れを告げたのでしょうか。

真澄がスケッチしたはたはたの漁

菅江真澄のスケッチと比べても現在の小入川の風景は変わっていない。遠くに岩舘港、小入川の集落、五能線が走る鉄橋などが見渡せる。

菅江真澄は、岩舘から椿が咲いている椿の浦(椿台)に向かった。

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