19世紀北海道にあってアイヌと和人の通訳に携わった加賀家伝蔵は八峰町で生まれた

アイヌと和人との交流に携わり加賀家文書を残したのは秋田八峰町の生まれだった。

加賀家文書とは、蝦夷地(北海道)で通辞(通訳)として代々働いてきた秋田県八森(八峰町)出身の加賀家の人々が記録し受け継がれてきた資料です。
資料には、日本語とアイヌ語の通訳及び翻訳、アイヌの人々の暮らしが書き留められています。アイヌ語は、当時の北海道東部方言の記録として大変貴重なもです。
加賀家文書は、三代目加賀伝蔵が大部分を執筆したと言われています。現在加賀家文書は、加賀家7代目加賀実留男が北海道別海町に寄贈し別海町郷土資料館の付属施設(加賀家文書館)に展示されています。

加賀家系譜と3代目加賀家伝蔵

加賀家の初代徳兵衛は、加賀の国(現石川県)の出身で蝦夷を目指して船出したが、途中嵐に会い八森(現八峰町)の海岸に漂着した。宮崎長八に助けられ長八の娘と結婚し加賀と名乗った。徳兵衛は八森に居を構えたが再び蝦夷地を目指しています。
初代徳兵衛は加賀の国の出身なので加賀姓を名乗ったと言われています。

初代徳兵衛の長男鉄蔵は根室場所で通辞(通訳)を務める。
徳兵衛の次男伝蔵が加賀家文書の大部分を執筆
伝蔵の長男常蔵は子モロ場所で勤務
常蔵の次男恒吉は秋田県八森(現八峰町)で農業を営む

〇小説幻氷の岬 宮越郷平と千葉大学人文社会科学研究科 研究プロジェクト 深澤美香の報告書を参考にしました。

加賀家文書館

加賀家文書館は、平成10年(1998)に加賀家7代目にあたる加賀實留男氏から、江戸時代の末期に当町の野付半島などで活躍した加賀家の一族が残した古文書資料約千点が寄託され、その保存と教育的活用をはかるために建設されたものです。
 加賀家文書を7つのテーマにまとめ、映像コーナー、加賀家文書ライブラリー、収蔵展示室などをもうけてています。

この記事をSNSでシェアー!