1783年(天明8年)郷里岡崎を旅立ち、信濃を経て出羽・陸奥・蝦夷といった日本の北辺を旅した。
信濃では『伊那の中路』を初めとする紀行や随筆、陸奥・出羽では『霞む駒形』『率土が浜つはひ』『秋田の仮寝』『小野のふるさと』といった紀行や素描本を綴り、蝦夷ではアイヌの人々の生活を『えぞのてぶり』に写した。秋田県の八森(現八峰町)には、1801年(享和元年)から4度訪れている。
1)1801年(享和元年)津軽から出羽に入った記録 (雪の道奥雪の出羽路)
2)1803年(文化3年) 能代から岩館へ 浦の笛瀧(ウラノフエタキ)
3)1806年(文化3年)4月能代方面から岩館方面に遊覧した。
4)1807年(文化4年) 雄賀良能多奇(オガラノタキ)
#菅江真澄、#紀行文、#日本の北辺、#八森、#雪の道奥雪の出羽時
菅江真澄のプロフィール
「宝暦4年(1754年)菅江真澄は、三河国(愛知県)に生まれました。江戸中期から後期にかけての執筆家。生年には宝暦3年説もありあます。姓は白井、本名英二。文化の半ばから「...
続きを読む雪の道奥雪の出羽路の旅 深浦を旅立つ
享和元年(1801)11月4日早朝、それまで滞在していた津軽藩の深浦(青森県深浦町)を多くの歌仲間や竹越氏に見送られて真澄は秋田にむけて旅立ちました。別れの歌会で詠んだ歌です。わ...
続きを読む雪の道奥雪の出羽路の旅 岩館の浦に到着
岩舘村(秋田県八峰町)では冬の海辺の暮らしぶりを記録しております。特にハタハタ漁の様子や沢山の絵図を残しております。
続きを読む1803年(享和3年)浦の笛瀧(ウラノフエタキ)
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1806年(文化3年)4月能代方面から岩館方面に遊覧
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1807年(文化4年) 雄賀良能多奇(オガラノタキ)
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