菅江真澄が愛した深浦町は約1300年前の「日本書記」にも書かれている古い港町

雪の道奥雪の出羽路 菅江真澄が愛した深浦

菅江真澄遊覧記3 内田武編訳」雪の道奥雪の出羽路で始まっています。

菅江真澄は、享和元年(1801)年過ぎ去った秋の頃から深浦を出発しようと、しきりに思っていたが、紅葉やを月を賞でたりして日数をかさねているうちに、時雨の季節も過ぎて、初雪が降ってきた。11月の3日、夜が明けたらでかけようと心にきめていたが馴れ親しんだ友だちが別れの宴をもよおしてくれたので四日間も出発が遅れてしまったと書いています。

菅江真澄がいかに深浦を愛し離れるのがつらかった様子が伺えます。

私は、2021年7月菅江真澄の足跡を訪ねるため深浦を訪ねました。
八森から日帰で椿山春光山園覚寺弁天島を訪れました。生憎「深浦町歴史民俗資料館」と「津軽深浦北前の館」は閉館日に重なり見学出来ませんでした。
次回の旅で再度訪れたいと思っています。

椿 山

いそ山に春は咲てふ玉椿 かかる山並みの光なるらん

真澄が寛政8年(1796年)7月椿山を訪れて読んだ歌碑が高台に立っています。
此の案内版を読むと1801年に深浦を出発し岩館の浦に向かったと書かれています。
真澄は深浦に数年滞在したことになります。

日本海に岬のように突き出た椿山は、江戸時代から歌や紀行文に度々取り上げられた風光明媚な名所です。現在は、椿山の神社を訪れることが禁止されておりますが高台から椿山を一望することができます。

椿 山
椿山の紹介

春光山園覚寺

深浦港の西側の高台の森に建つ春光山園覚寺は、1200年ほど前に建立された古刹です。
壮麗な仁王門を入ると、中央に澗口観音堂、右に薬師堂、左に金比羅堂があります。
藩政時代津軽家の祈祷所として歴代藩主から手厚く保護されてきたので数々の寺宝が展示されています。

特に各地の豪商などから奉納された絵馬が多く、船絵馬だけでも70点あります。
なかでも寛永10年(1633)、越前敦賀住庄司太郎左衛門が奉納した横3尺、縦4尺の北前船の絵馬が有名です。

間口観音堂
薬師堂

薬師堂にある厨子は、室町時代初期から中期の作と言われ、青森県最古の建造物と伝えられている。

船絵馬

深浦は古い港町だから各地の船主、豪商などから奉納された絵馬が多く、船絵馬だけでも約70点あります。船絵馬で最も有名な「寛永10年(1633年)、越前鶴賀住庄司太郎左衛門が奉納した横5尺、縦4尺の北前船絵馬は当時をしのばせます。
※春光山園覚寺で購入した案内書より引用

まげ額

又春光山園覚寺には荒天で九死に一生を得た船乗りが奉納したという「まげ額」も28点あります。当時の北前船の様子や海上信仰を知る上で貴重な資料となっています。
※春光山園覚寺で購入したパンフレットから引用

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