真澄は享和元年11月5日岩館の浦に到着。岩館の浦でハタハタの網曳を見学している

菅江真澄の足跡を訪ねる|岩舘の浦で鰰の網曳を見学

享和元年(1801年)11月5日深浦で沢山の友だちに別れを野げ岩舘の浦を目指した。大間越の部落で菊池某のもとで休憩し深浦から乗ってきた馬を返した。大間越の部落を過ぎ出羽の国界にはいり、菅の埼(須郷岬、ここから八森町)を過ぎて枯草のあるところで馬をやすませ休憩。小菅崎もはるか後に進み、日は暮れて暗くなったが夕月の明かりを頼りに関所を越え岩舘の浦の部落に到着した。

菊地小三郎の家に一泊した。
翌11月6日暁天の星をいただいて、漁師たちは起きたの、わたしも、ともに起きて顔を洗った。鰰の網曳をするといって、沢山の小舟が荒れ狂う大磯の大波に漕ぎ出てやすやすと乗りまわっている」

菅江真澄遊覧記3 内田武編訳 雪の道奥雪の出羽路から引用」

菅江真澄は「雪の道奥雪の出羽路」でハタハタについてこのように記述している。
「はたはたという魚は、陸奥にもいるが、とくに出羽の秋田の名産である。佐竹常陸介義重小田讃岐守入道天庵の争いがいったん和睦を結んでいたころは、常陸でもこの魚がたいそう多かった。佐竹家が秋田に移封されると、また、はたはたが秋田の海に多くなった。世間の人は、鰰は佐竹家につき従う魚」だと言っている。

八峰町では冬の郷土料理に欠かせない魚です。特にお正月には、はたはた寿司やしょっつる鍋を食べる習慣があります。


真澄は岩舘でハタハタの網曳を見学後八森に向かいました。
途中磯伝いにすすみ振り仰ぐと大きな立岩がありました。
立岩と笛滝の悲恋物語を聞いて真澄は4年後この地を訪れた時海から笛滝を眺めている。

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